飛鳥繚乱-白梅の章-《6》

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「其方の前でこのような見苦しい姿を見せてしまって……どうか許して下さい」
「そ、そんな……勿体ないお言葉です、穴穂部間人さま。どうか、この私に出来ることがあれば何なりとお申しつけ下さい」
そう言いながら河勝が再び深々と頭を下げると、穴穂部間人皇女は安堵したように微笑んだ。
「どうか顔を上げて下さい、河勝殿。其方のような若者が厩戸の傍らに居てくれれば……私は安心です。これからは、我が子たち……我が皇子たちのことをどうか宜しく頼みます。厩戸や来目たちを……兄のように見守ってあげて下さい」
「はい。我が臣命に代えましても皇子さまは必ずお守り致します」
凛とした声音が、静まり返った内殿に響いた。
「あ、あの……穴穂部間人さま。恐れながら、ひとつだけ宜しいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。どうか遠慮せずに申して下さい」
「はい、有難うございます」
河勝は、姿勢を正して一礼すると真摯な眼差しで語りはじめた。
「先程の来目さまの皆様に対する思いには誠に感服致しました。実は、私も朝廷から厩戸さまの舎人に選ばれてからずっと考えていたのです。厩戸さまには……そ、その……沢山の風評などが飛び交っておいでになりましたし……父は大層喜んで下さいましたが、こんな重要な任が自分に勤まるのだろうかと……悩みました」
己の心の内を、河勝は包み隠さずに話しはじめた。
「ですが、考えているうちに……ふとあることを思うようになったのです」
「あること?」
「はい。これだけの風評が存在なさっている上に、容姿端麗で聡明な御方……『神童』とまで崇拝しておられる御方もいらっしゃるという『厩戸皇子』とはどのような御方なのだろう、と……。是非にもお会いしてみたいと思うようになったのです。もちろん、そうは言っても我々がそんな簡単にお会いできる御方ではありません。ですが、今回私が舎人に偉ばれたことで……私は厩戸さまの身の周りのお世話や護衛の任に就くことになりました」
本当に予想もしていなかったことが起こり、目に見えない運命というものを感じずにはいられない。
「恐らく我々舎人の任も、皇子さまたちをお守りして心安らかな生活を送って頂くためのものであると思います。それには、やはり上宮家全体の皆様が心安らかにお過ごし頂くのが何よりではないでしょうか?」
「上宮家全体の……平安……」
「はい。これからの上宮家の御繁栄を考えれば、御一族は団結してひとつにあらねばなりません。ですが、現状は御一族の内で相争っておられる御方がいらっしゃると聞き及びます」
ずっと以前から、上宮家内の一部の者たちの争いが表面化しているのを河勝も知っていた。
皇位継承の地位などを巡る争いが殆どであるのも、代々天皇を継承している家系ならではの悩みだ。
「護りの面から申しましても、そのようなことがあれば相手に攻め入る隙を与えることになってしまい不利なのです」
「それは……とても素晴らしい考えだとは思いますが……争いを治めることができるかどうか……」
「はい。私はその為にも我々舎人があるのだと思っています」
「其方たちが……それを成すと言うのですか?」
穴穂部間人皇女は、思わず目を丸くして驚きの声を上げてしまった。
以前から皆が頭を悩ませている一族同士の争いを、舎人に成りたてのこの若者に解決する器量があるのだろうか。
「い、いいえ、穴穂部間人さま。私は……ただの臆病な小心者です。そんな大それたことは間違っても出来ませんが、そういった雰囲気を作ることは出来ると思います」
争いを緩和して、争いが起こらないような雰囲気を作り出していくことが、同時に『護る』ことになるのではないだろうか。
「ですから、私からもお願い致します。どうか、厩戸さまをお信じ下さいませ。穴穂部間人さまと厩戸さまがお互い手を携えておいでになれば、あのような愚かな風評の類も、穴穂部間人さまの悪夢の類も自然に消えていくのではないかと思います。私はこの通りの非力な人間ですが、舎人という任を授かったからには全身全霊で勤めさせて頂きたいと思っています」
「河勝殿……」
河勝の力強い言葉を受け取った皇女は安堵の表情で瞑目した。
「其方の……その言葉に……私の心の霧も晴れたようです……礼を言いますよ、河勝殿」
「穴穂部間人さま」
「……どうか……どうか皆のことを宜しくお願いします」
「……はッ!」
改まって忠言を誓ったこの見るからに生真面目そうな若者のことを、遠巻きに眺めていた来目皇子の側近や采女達も、気がつくと殆どの者が河勝に好感を抱いていた。
「いやはや、まだお若いというのに皇女様の心労を打ち払われてしまうとは……」
「たいした御方じゃのう」
「善き御方が兄君のところに来て下さって、宜しゅうごさいましたね、皇子」
「うんっ、河勝殿はやっぱり兄上が言っていた通りの御方だったみたいです」
来目皇子は大きく頷きながら嬉しそうにそう言った。
【飛鳥繚乱-白梅の章-/続く】
飛鳥繚乱-白梅の章-《5》

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どうやら今の話を隣室で偶然聞いてしまったらしい。
「河勝殿の言う通りです。兄上は皆が言っているような御方ではありません。私たち皆のことを考えて下さっている心の優しい御方です!」
来目皇子はまだ幼さの残る口唇を震わせながら、皆の前ではっきりとそう言った。
「母上、お願いですから皆の噂話など信じないで……兄上のことをもっとちゃんと見てあげて下さい」
「来目……」
涙に濡れた顔を上げて、穴穂部間人皇女は目の前の我が子を見つめた。
「憶えていますか? 私がもっと小さい頃から兄上はよく遊んで下さいました。馬に乗せて貰って一緒に散策したり、川で魚を追って水遊びをしたり……私達と何も変わらないのに……あんな噂が………でも、誰が何を言おうと、兄上は私の兄上です」
来目皇子は、ゆっくりと穴穂部間人皇女の前に跪くと静かにその手を取った。
「だから、母上がそんなことを言ったら……私は悲しくなってしまいます。私たちは家族なんですから……そうですよね、母上?」
その胸が熱くなるような思いを聞いて、穴穂部間人皇女は再び涙を流した。
「……来目………母を……母を許して下さい…ッ。こんな弱い母を……どうか許して下さい……ッ!」
母としての後悔と自責の念。
周囲の風評に惑わされて、我が子を信じることが出来ない疎かな母になるところだった。
来目皇子も、厩戸皇子も穴穂部間人皇女にとってはかけがえのない我が子―――かけがえのない家族である。
皇女はその小さな手を優しく両手で握り返した。
「もう泣かないで……母上。ほら、河勝殿に笑われてしまいますよ」
まだ幼い我が子にそう諭されて、穴穂部間人皇女は溢れて止まない涙を拭った。
「来目さま……」
すぐ傍らに控えていた河勝も、来目皇子の講釈には思わず舌を巻いてしまった。
今年五歳になったばかりとは思えないくらいしっかりしたお考えを持っている上に、物怖じすることなく堂々としている。
そして、他を思いやる優しい心までも持っていた。
まったく、弟君の来目皇子も噂に違わない皇子であった。
「河勝殿」
「は……はッ!」
突然名を呼ばれて、河勝は慌ててその場で深々と頭を下げた。
「其方の前でこのような見苦しい姿を見せてしまって……どうか許して下さい」
「そ、そんな……勿体ないお言葉です、穴穂部間人様。どうか、この私に出来ることがあれば何なりとお申しつけ下さい」
【飛鳥繚乱-白梅の章-/続く】
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