SHINOBI ―忍― 《2》

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疾風が思わず瞳を輝かせながら顔を上げた。
「それ本当かよッ、じいちゃんッ! よっしゃーッ!」
「やれやれ。まったく……単純な奴じゃわい」
藤十郎は、肩を竦ませながら呆れたように皺枯れた声で笑った。
「……ところで、『風林火山宝玉書』のことは、既にお前達も知っておるのじゃろ?」
「ああ。春乃姫様が信玄公から賜った財宝の在処が書いてあるっていう巻き物のことだろ?」
「いかにも」
今から約五百年前―――。
戦国時代の山梨県一帯は甲斐国と呼ばれ、隣国の駿河や信濃、相模、上野、三河と戦を繰り返していた。
甲斐の守護代を代々務めていた武田家は、甲斐源氏の流れを組む家系で、信玄公(晴信)は第十八代当主、武田信虎の嫡男として生まれた。
父を駿河に追放し、二十一歳の若さで家督を継いだ信玄公は、周りの国々から『甲斐の虎』と恐れられる智将であった。
十六歳の時に京都から御輿入れになった三条の方が御正室となっていたが、若き信玄公には政略結婚以外の何ものでもなかったのだった。
その後、幾多の女人たちが信玄公の御寵愛を受け、ある者は御側室となり、またある者は御子を授かった。
だが、謀反で嫡男の太郎義信を自刃に追い込み、最愛の御側室、諏訪の湖依姫を病で亡くされてからは、戦に出陣すること以外では塞ぎ込むことが多くなったのだという。
そんな時、川浦へ湯治に出掛けた信玄公の御接待をしたのが真田幸隆の家臣、安曇長時の娘、春乃姫であった。
ひと目で春乃姫のことを気に入った信玄公は、春乃姫を御側室に迎え、心の平穏を取り戻したという。
「それからしばらくして、春乃姫様は信玄公の御子を身籠ったそうじゃが、その子は安曇家の御子として育てたいと進言したそうじゃ」
「え? 何でだよ? せっかくこれから3人で幸せに……」
「春乃姫様にはわかっておったのじゃよ。もし、生まれてくる御子が男子なら、また家督争いの火種を生むことになってしまう、とな」
かつて、三条の方との御子太郎義信と、諏訪の湖依姫との御子四郎勝頼の間で跡目争いが起こり、信玄公が心を痛めたことがあったのだ。
太郎義信が謀反で自刃した末、跡目は四郎勝頼と決まったものを、また揺るがしかねない。
「じゃから、身を引くことを決意した春乃姫様は安曇家に戻り、無事に男子を産んだのじゃ」
御子が無事に生まれたとの知らせを聞いた信玄公は、加藤段蔵の一派である佐伯一族の祖、佐伯直綱を呼んで四本の巻き物を渡すとこう言ったという。
『儂はまた戦に赴かなくてはならぬ。そのほうには春乃のもとへ行って貰いたいのじゃ。時に我が赤子の名は“秀信”と名付けることにする。安曇の家に入ろうとも、立派な武田家の血を引く男子じゃ。そちが秀信の守役となり、秀信と春乃の行く末を見守ってやって欲しい』
その時、佐伯直綱に託された四本の巻き物こそが『風林火山宝玉書』だったのである。
『儂の亡き後、家督は勝頼が継ぐことになるだろう。だが、まだ激化していくこの乱世の中で、勝頼が討たれるようなことがあれば武田の家は滅びる』
その時既に、信玄公は尾張の織田信長や三河の徳川家康の存在を脅威と感じていたのかもしれない。
『そんなことにならぬよう、皆で勝頼を支えてやって欲しいのじゃ』
佐伯直綱は、その信玄公の眼差しにひとりの父親としての姿を見たという。
「そして信玄公は直綱殿にこうも言ったそうじゃ。秀信を無理に武将にする必要はない、とな。親兄弟で相争っている俗世を捨てて仏門を極め、武田代々の仏を守ることも、また立派に武田の家を守ることだ、とな」
「たしか、次郎様も仏門を極めた僧だった」
銀牙がぽつりと呟いた。
「そうじゃ。三条の方様の二番目の男子、次郎様は幼い頃に病で失明してしまい仏門に入られたのじゃ」
「そうか……武将の子に生まれたっていうのに……信玄公や他の兄弟たちと一緒に馬に乗ってあちこち駆け回りたかったろうな」
「仕方ないさ……運命を受け入れるしかないことだってある」
寂しげな双眸に僅かな翳りを落として、銀牙が呟くようにそう言った。
「そりゃそうだけどさ。俺もずっと昔に同じようなことがあったからさ……」
「お前が?」
「ああ、ほら、6歳の時に俺が修行中に木から落ちて骨折したことがあったろ?」
「裏山の大木から落ちた時のこと……か?」
「そうそう」
疾風がまるで他人事のように懐かしそうに頷いた。
「あの時、思ったより重傷でさ……2ヵ月間歩けなかったんだよ。それで俺、何だかスゲー恐くなっちゃってさ。もうこのまま歩けなくなっちゃうんじゃないかって思ってさ……」
6歳のいたいげな子供なら無理もないだろう。
「皆と一緒に修行したいのにそれも出来なくてさ……不安や悔しさに押し潰されそうになってずっと部屋に閉じこもってたら、銀牙が修行サボって俺のところに来て言ったんだ」
「俺が……?」
「うん、なんて言ったか憶えてる?」
「……そ、そんな昔のこと憶えてるわけないだろ」
微妙に赤くなった頬を隠すように、銀牙がふっと視線を逸らした。
「あの時、落ち込んでた俺に銀牙が言ってくれたんだ。『疾風が戻ってくるまで、僕も修行なんかするもんかっ!泣くな、疾風っ!歩けなくなったって……僕がずっと疾風の“足”になるから』ってさ……」
疾風が、懐かしい当時を思い出しながら嬉しそうにそう言った。
「……そ、そんなこと言ったか?」
「何だよ。やだなぁ、銀牙ってば。憶えてねぇの? ……って言うか、もしかして恥ずかしいから忘れたフリか?」
「な…ッ! 何を馬鹿なことを……っ!」
いつになく冷静で顔色を変えない銀牙がむきになるのが面白くて、疾風は更に思い出話を続けた。
【To be continued】
SHINOBI ―忍― 《1》

♪OPイメージテーマ曲を聴く
プロローグ
「……間違いないんだな?」
東京、臨海副都心に悠然と聳え立つ、地上40階の高層ビルの最上階―――。
ブラインドの下ろされた薄暗い執務室に男の低い声が響いた。
「はい。ここ半年間の綿密な身元調査の結果、確かにお探しの人物であることが確認されましたのでご報告に上がりました」
「そうか……」
そう答えたきり、男は大型プロジェクターに映し出された写真画像をじっと見つめていた。
ご苦労だった、と部下を下がらせると、執務机に置かれている調査ファイルに目を落とした。
「……やっと……」
クリップでいちばん上に留められている写真を見遣ってニヤリと笑う。
「……やっと見つけたぞ……春乃姫の末裔……」
山梨県、某村―――。
その更に奥郷の山中に、今はもう忘れ去られた秘境の村があった。
獲物を狙う鷹の鋭利な鳴き声が、静寂を破るように見渡すかぎりの深い緑の山々に響き渡る。
風を切り裂く、口笛の音―――。
その鷹を追うように、緑の大地を駆け抜け、大樹の幹の枝から枝へと翔び移るひとりの少年がいた。
濃茶色の髪と同じ色の澄んだまっすぐな瞳。
すらりとしたその長身に白いトレーニングウェアがよく似合っている。
「霧丸―――ッ! もういいぞッ、戻ってこ―いッ!」
霧丸と呼ばれた鷹は、甲高い鳴き声を上げながら虚空で輪を描き、少年の左腕に急降下して留まった。
「なぁ、もうそろそろ昼飯の時間じゃないか? 俺もう腹ペコペコだぜ」
そんなことを話し掛けると、霧丸は首を傾げて再び甲高い声で鳴いた。
「何だよ、お前もか」
まるで霧丸が答えたような気がして、少年は羽を広げた霧丸を空に掲げて笑った。
この辺りは、人里からだいぶ離れている所為で、野鳥ハンターのことを気にすることもなく思う存分に霧丸を飛ばしてやることができる。
霧丸と出会ってからは毎日変わることなく続けている、この少年―――佐伯疾風(さえき・はやて)の日課みたいなものだった。
「じゃ、そろそろ帰って飯にし……」
そう言い掛けた途端、ガサガサッと大樹の枝が大きくしなり、葉が揺れ落ちた。
木の上に人の気配がする。だが、殺気はなかった。
「誰だ」
疾風が声を掛けると、木の上から音もなくひとりの少年が地上へと降り立った
疾風と同じ年頃の少年だ。
黒いトレーニングウェアを着て、薄茶色の髪を腰の辺りまで伸ばした美少年である。
疾風の同い年の従兄、若宮銀牙(わかみや・ぎんが)だった。
「こんなところにいたのか、疾風」
「なんだ、銀牙か」
やっぱりな、と疾風が歩み寄った。
「ここがよく分かったじゃん。さすが銀牙だぜ」
「お前の行動範囲は単純だからな」
すると、疾風の右腕に留まっていた霧丸が、甲高い鳴き声を上げながら羽をはばたかせ、今度は銀牙の右腕に留まり直した。
「あッ! おいこらっ、霧丸ッ! この裏切りモンがッ」
だが、霧丸は疾風をからかうように羽を広げて鳴くだけだった。
「霧丸にまでからかわれるようじゃ、お前もまだまだだな」
「ちぇっ、うるせぇよ」
納得のいかない疾風は、腕組みしながら頬を膨らませて口を尖らせた。
「そんなことより……」
銀牙が神妙な面持ちで口を開いた。
「俺と一緒に戻ってこい。翁(おきな)が呼んでいる」
「え? じいちゃんが?」
予想もしていなかったその知らせに、疾風は思わず驚いたような声を上げてしまった。
◇◇◇
村に戻ると、本家のすぐ裏手にある八幡神社の御本殿に向かった。
「……おぉ、来よったか、童(わっぱ)ども」
そこに、翁(おきな)と呼ばれる老人、佐伯藤十郎(さえき・とうじゅうろう)がいた。銀牙と疾風の祖父である。
「話って何だよ、じいちゃん?」
「うむ、疾風も銀牙も……そこに座りなさい」
いつになく真摯な藤十郎のその様子に、二人は顔を見合わせると言われるままに腰を下ろした。
薄暗い本殿内を照らす蝋燭の炎がゆらりと揺らめく。
「……実はな、お前たちに大事な話をしなくてはならなくなってのう」
「大事な話?」
「そうじゃ」
「や、やだな、じいちゃん。そんなに改まった顔しちゃってさ……間違っても、俺の小遣い減らすなんて話は無しだぜ」
あはは、と冗談まじりに笑う疾風を、銀牙が呆れたような顔をして窘める。
「茶化さないで真面目に話を聞け、疾風」
「へいへい」
話の腰を折られてしまった藤十郎は、ひと呼吸置いてからゴホンと咳払いをして本題に入った。
「実はな……お前たちに、東京へ行って貰いたいのじゃ」
「えぇッ!? 東京っ!?」
思ってもいない話に、二人は驚きの声を上げた。
「うむ、東京に行って『ある人物』の身辺を警護して貰いたいのじゃよ」
「ある人物って……まさかッ!?」
「うむ、我が佐伯一族永劫の御館様―――武田信玄公と御側室、春乃姫の血を受け継いだ御方じゃ」
藤十郎が誇らしげに白髪の顎髭を撫でた。
疾風や銀牙の御先祖達は、戦国時代に活躍した『乱波』や『間者』と呼ばれる忍び、言わば忍者の一族である。
戦の勝敗をも担っていると言われている諸国の情報などを集める諜報活動や、戦における陽動や攪乱、暗殺など、特殊な能力を研かれた精鋭部隊として現在も語り継がれていた。
しかし、当時は活躍した忍び達も、やがて徳川の世を迎えて現在に至るまでには、歴史の表舞台に出ることなく幻となっていったのだった。
「……歴史の裏であれほどまでに暗躍していた他の忍び達も次第に姿を消してしまい、今では忍びを名乗る者は我々佐伯一族ぐらいになってしまっておる」
そう言うと、藤十郎は長い時間の経過にふと思いを馳せた。
「ホントだよなぁ、張り合う相手がいない、ってのは手応えがないからスッゲーつまんねぇし」
「……ったく、お前は馬鹿か? 一体何を張り合う気なんだ?」
銀牙が呆れたような顔をしてそう言い遣った。
「そりゃーもちろん修業の成果に決まってんじゃんっ! もう毎日毎日、銀牙相手に張り合うのもいい加減飽きたしなぁ……」
「何だとッ」
「おっ! やるかッ!」
「いいだろう……望むところだッ」
「おっしゃッ! 掛かってこいやッ! 銀牙ッ!」
疾風が嬉しそうに銀牙の胸座を掴み上げた。
「こりゃッ! 止めんかッ!」
いきなり藤十郎の喝が入って、二人の馴れ合いを封じ込めた。
「まったく、お前たちはいつまで経っても鼻たれ小僧の頃からまるで変わっておらんのう」
そう溜息混じりに呟くと、藤十郎は薄くなった白髪頭を皺枯れた手で撫でた。
「鼻たれ……」
「ひ、ひでぇな、じいちゃん」
「黙らっしゃいッ! いつも言っておるじゃろうがッ。いつ何時に何が起こるかわからんのじゃから気を引き締めておれ、とな。忍びの基本じゃろうが、この馬鹿モンどもがッ」
そう捲くし立ててから、細い双眸をより細めてニヤリと笑った。
「それに……今回はどうやら、やっとその修業の成果を張り合える相手が現れたのかもしれんのじゃぞ、疾風」
「え?」
【To be continued】
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